サウジアラビアにおける紛争解決について
平成30年2月19日更新
- 概要
- 1.サウジアラビアにおける訴訟制度
- (1) シャリ―ア裁判所
- (2) 苦情処理庁
- (3) 司法改革(2007年~)による裁判所制度の再編
- (4) 苦情処理庁における審理手続
- 2.サウジアラビアにおける仲裁制度
- 3.サウジアラビアにおける外国仲裁判断の承認執行
サウジアラビアにおける紛争解決は、どのような手続で行われるのでしょうか。本稿では、サウジアラビアにおける紛争解決手段を概観します。
サウジアラビアには、主として、シャリ―ア裁判所と、苦情処理庁という、二種類の裁判機関が存在します。
我が国でいうところの裁判所は、もともと、シャリ―ア裁判所が相当し、民事事件、家事事件、刑事事件を取り扱ってきました。
ここで重要な概念が「シャリ―ア」(Shari’ ah)、すなわち、イスラム法です。シャリ―アは、神(アッラー)が預言者ムハンマドを通じて人間に与えた啓示たる「クルアーン」と、ムハンマドの生存中の言行から演繹される法規範たる「スンナ」を第一次的な法源とする法規範であり、成文化されていません。そして、サウジアラビアの憲法に相当する「統治基本法」では、裁判官の判断はシャリ―アに従わなければならないとされています。このような、シャリ―アに従った裁判を行う場所が、その名称どおり、シャリ―ア裁判所になります。
たとえば、我が国であれば、裁判所は当事者間の合意(契約)内容を認定しますが、シャリ―ア裁判所では、当事者間の合意があっても、それがシャリ―アに反するものであれば、当事者間の合意内容は無視され、シャリ―アに従った判決が下されることになります。
このようなことから、シャリ―ア裁判所は現代社会に生起する新たな紛争やビジネス問題の判断にはなじまず、現在では、家事事件や刑事事件などの事件を中心に審理する場所になっています。
苦情処理庁は、もともとは、いわゆる行政裁判所に相当するもので、政府機関の判断に対する国民の苦情を受け付けて処理する機関でした。
ところが1988年の法改正により、苦情処理庁は民間の商事紛争も管轄することとなり、次第に、会社間の紛争等は、シャリ―ア裁判所ではなく、苦情処理庁で審理されるようになり、苦情処理庁の管轄の外延は曖昧になっていきました(ただし、苦情処理庁であっても、シャリ―アに従わなければならないことには変わりはありません。)。
2007年10月1日、アブドゥラ国王は、①苦情処理庁の管轄範囲を明確化し、商事紛争、労働紛争、刑事事件などについては専門の裁判所を設置する、②これまで明確な三審制ではなかったシャリ―ア裁判所について、諸外国同様三審制を敷く、③硬直的なシャリ―アの解釈にとらわれず現代社会に生起する法律問題を現実的に解決する能力を持った裁判官を養成するといった、大胆な司法改革政策を打ち出しました。この改革は現在でも進行中です。
日本の企業がサウジアラビアに進出し、現地でのトラブルについて裁判を行う場合、現時点では改革途中の苦情処理庁において審理がされる可能性が高いですが、近い将来、一部の専門的な案件については、新たに設立される各専門裁判所に管轄が移される可能性があります(たとえば、交通訴訟については、2014年に新たに交通裁判所が新設され、管轄が移されました。)。
他方で、今後設立されるであろう各専門裁判所においても、基本的な裁判手続は、苦情処理庁における審理手続と同様になる予定です。
そこで、苦情処理庁における審理の内容を簡単に見ておくと、まず、弁護士強制主義は採られておらず、日本企業による本人訴訟も可能です。しかしながら、使用言語はアラビア語に制限されているため、現実的には、現地の弁護士に代理人を依頼することになるでしょう。さらに、代理人は、サウジアラビア国籍者である必要があります。
審理は、我が国の裁判所と同様、書面審理が原則です。
裁判規範は、シャリ―アが裁判規範となります。これは、憲法に相当する統治基本法において、裁判官はシャリ―アに従わなければならないとされていることから、やむを得ない帰結といえますが、サウジアラビアの企業と契約をする日本企業としては、この点は十分に留意しておく必要があります。もう一点、裁判規範の関係で注目すべきは、いわゆる「民法」が存在しないということです。イスラム世界ではシャリ―アが絶対的な「基本法」であることから、民事ルールの基本法たる民法あるいはこれに相当する法律を制定することに宗教的な抵抗があるためと言われています。日本企業としては、我が国の基本的な民法ルールの先入観を捨て、シャリ―ア法に精通した専門家の助力の元、紛争発生時のリスク検討を行うべきでしょう。
また、強制執行については、上記の司法改革の一環で、2012年に民事執行法が制定され、すべての執行手続について、その管轄が執行裁判所に移管されました。従前は、シャリ―ア裁判所や苦情処理庁ごとに、別々の執行ルールが定められておりきわめて複雑な状況でしたが、これが一本化されたことになります。
サウジアラビアでは1983年に旧仲裁法が制定され、その後1994年には外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約(ニューヨーク条約)にも加盟しました。
旧仲裁法は、手続においてはアラビア語を使用する必要があり、審理期間についても仲裁合意が承認された日から90日間しかなく、当事者合意があってもシャリ―アに従った仲裁判断しかできないという、我が国のような非イスラム圏の企業には使い勝手の悪いものでした。
これについても、上記の司法改革の一環として、2012年にUNCITRAL(国連国際商取引委員会)が制定したモデル法を参考にした新たな仲裁法が制定され、一定程度の改善が図られました。
まず、言語について、両当事者が合意するか又は仲裁委員会が決定した場合、仲裁手続にアラビア語以外の言語を使用することができるようになりました。
また、審理期間についても、従来の一律90日というルールを変更し、原則として、仲裁手続の開始日から12カ月以内に仲裁判断が下されることになりました。
他方で、今後仲裁判断がどのように下されていくのかには不透明な部分があり、現時点においては、苦情処理庁での裁判手続を利用した方が外国企業にとっては無難であろうとの評価もあります。
サウジアラビアは、1994年に外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約(ニューヨーク条約)にも加盟しましたが、従来は、サウジアラビアの裁判機関は、主として、当該外国仲裁判断が、サウジアラビア法(シャリ―ア)に反することを理由として、執行を拒絶することが繰り返され、サウジアラビアにおいて外国での仲裁判断に基づいて執行を行うことは難しい、と一般に考えられてきました。
ところが、2011年にアラブ首長国連邦の電気通信会社とサウジアラビアのデータ通信プロバイダー業者間の紛争についてロンドンの国際商業会議所(ICC)で下された仲裁判断が、サウジアラビアで承認・執行されるという画期的な事例が現れました。サウジアラビアにおける執行手続の最中に前述の民事執行法が制定されたため、手続は苦情処理庁から執行裁判所に移されました。この執行裁判所の判断は、民事執行法に定められた要件を満たせば、現実に外国仲裁の承認執行が可能であることを示す点で、重要な意義があります。
以上